壁の飾りをかえました。
都はるみ「北の宿から」昭和50年(1975)作詞:阿久 悠、作曲:小林亜星
ここ数回「演歌」の歴史について検証しています。
「演歌」という用語、概念は昭和40年(1965)頃から使われ始めました。
65年「函館の女」なんてヨナ抜きながら演歌というよりアメリカンポップ要素が多く、69年藤圭子「新宿の女」はアウトローなイメージ、71年「よこはま・たそがれ」はポップス的、「わたしの城下町」は「美しい日本」「清廉な女性」というクリーンなイメージ、と色々実験を繰り返していたわけです。
しかし75年頃になると、演歌のイメージは固定化されつつあるということが見て取れます。取り扱うテーマは「寒い北国」「耐える女性」「男女の別れ」「夜の盛り場」「ひとり旅」などなど。
阿久悠の詞はその演歌イメージを表しているように見えます。なお「別れた男性のセーターを編む」というのは別れに決着をつける儀式であり、「死んでもいいですか」は自嘲気味のひとり芝居というイメージで「僕は強い女を書いたつもりだった」とのことです(1)。
なお楽曲は典型演歌調ながら、小林亜星の技が随所に見られます。楽譜を見ますと、ヨナ抜きでもニロ抜きでもなく、通常の短調です、原曲キーF#mは悲しさを演出するには良いそうです。小林亜星によると「ヒット曲の秘訣として、歌い出しは平坦なリズムを繰り返し、サビの部分で一か所だけ高い音の山を築くことだ」(2)ということなのです。なるほどその通り。この曲前半は繰り返しです、とはいえ「寒さがつのります」の所はIVの代理コードでVI→VIIそしてIの代理でIIIを使い不安・緊張感をつくっています。
そしてサビの「あなた恋しい」で一気に高音、そしてラストの「北の宿」ではツーファイブ(IIm7→V7→I)進行!で見事に翳りある締めを演出。なおこの西洋短調音階+ツーファイブは「津軽海峡冬景色」でも使われているのです。
都はるみの歌唱もこの曲に抜群に合っております、力強いこぶし、うなり、そして高音、すばらしい。
この時期75年頃が、だいたい「演歌」のイメージ出来上がってきて、そして演歌以外の歌謡曲(アイドル、ポップス、フォーク、ニューミュージック)から離れていった時期なのだと思います。
だってそうじゃないですか、夜の盛り場、酒、耐え忍ぶ女性なんてテーマ、若い人の生活には関係ないので共感されませんよ。当時は若年者の数もむちゃくちゃ多かったし購買力も大きかった。レコード会社としては若者マーケットはアイドルやフォークなどに任せ、「演歌」については中高年対象にターゲットを絞ったということなのでしょうか。このあと「演歌」は固定化し独自の発展をしてゆくことになります。
皆様、今でいう演歌イメージが固まってきたころの名唱、機会がありましたらぜひお聴きください。しかしやはり寒い冬はステレオタイプに「演歌」の気分なのかもしれません、今年は特に寒かったからね。春になったら演歌はいったんお休みにしようと思います。 (2025.2.26院長)
(1)Wikipedia 「北の宿」から、 阿久悠 『愛すべき名歌たち』1999年 岩波書店
(2)刑部芳則『昭和歌謡史』2024年 中公新書 p.330
カテゴリ 音楽
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