壁の飾りをかえました。
小柳ルミ子「わたしの城下町」昭和46年(1971)4月作詞:安井かずみ、作曲:平尾昌晃
「演歌」という言い方は1969年頃から広がり始め、アウトロー的テーマを持っていました(例:藤圭子)。のちに演歌という概念が集約され固定化が進むのですが、そこに至るまで、演歌は多種多様な実験的試行を繰り広げました(例:71年「よこはま・たそがれ」ポップス演歌)。
今回は71年「わたしの城下町」が演歌であることと、そこにある実験的側面を検証してみます。この曲を演歌でないと感じる方もいるかもしれません。でもそれこそが実験が成功したことの証なのだろう思います。。
まず演歌的な要素。メロディーはAm(イ短調)のヨナ抜き音階、ただし厳密には四番目の音D(レ)が3回だけ登場します、G(ソ)は0回、なので「ほぼヨナ抜き」。コード進行は基本のI-IV-V-Iタイプ。歌詞の載せ方は七五調が中心。歌唱はコブシ(「歌うのか」「城下町」の部分)や節回し(「夕焼け」の部分)を含んでいます。これらをみるとやはり演歌だと思います。
これに対し非演歌的要素です。まず歌詞のテーマ。典型演歌は、夜の盛り場、男尊女卑的な女性性、といったダーディー・イメージを扱ってきたのですが、本曲では、「美しい日本」「清廉な女性」というクリーンなテーマなのです。そして楽曲は、三段目の崩し方がポップス的であります、特にベースラインをよくお聴きください。また使用楽器に12弦ギターが使われていてロック・ポップ要素を感じます。
当時国鉄の「ディスカバージャパン」(1970年10月~)のイメージと重なってヒットしました。何と150万枚も売れまして、71年第22回NHK紅白にも出場しました。小柳ルミ子さんはこのデビュー曲で大ヒットしたばかりに、このあと7-8年も同じ路線(旧き美しき日本をたたえる、清楚な女性)で売られることになりました。彼女にとっては芸風を限定されることになって、後々影響があったかもしれません。まあ、この「旧き佳き日本」的歌謡曲が一度当たりますと、レコード会社も商売ですから、量産されてひとつのジャンルに成長することになります。
ともあれですね、いい曲であることには違いありません。演歌が多様な道を模索し実験を繰り返したころの名作、ぜひもう一度お聴きください。(2025.2.12 院長)