鈴木淳の演歌 八代亜紀「なみだ恋」

壁の飾りをかえました。

八代亜紀「なみだ恋」昭和48(1973)2月作曲:鈴木淳、作詞:悠木圭子 

八代亜紀さんは昭和46年9月「愛は死んでも」でデビュー、1~3枚目はそれほど売れず。4枚目「なみだ恋」が120万枚の大ヒット、昭和48年末には第15回日本レコード大賞で歌唱賞を受賞、第24回NHK紅白に初出場しました。

曲は典型的演歌調メロディー。鈴木淳先生はジャズ・ポップスをベースに日本的哀調メロディーを取りこむのが特徴。この曲はポップス色をおさえた作りだと思います。当時流行し始めていた「演歌」スタイルを完全踏襲したことで幅広く人気が出たのでしょう。

改めて譜面を見ますと、短調ではなく長調でした、キーはF(へ長調)、複雑なコード進行はなく、I,IV,Vで構成され安定進行。そして構成音は典型的ヨナ抜きで、F-G-A-C-Dのみです、B♭とEはありません。リズムは4分の3拍子。譜割り(リズム割)はAメロ、A’メロ、Bメロ、サビ、Cメロともにほぼ同じ、終わり部分は必ず3拍長音、リズム面も安定感重視です。

楽器構成では、泣きのサックスに情念を感じ、クリーンなギターに哀愁を感じ、優しいストリングスが諦観を表しています。

安定感とわかりやすさが本作ヒットの理由のひとつだと思います。

ボーカルは八代さんとしては抑制をきかせ、さらっと歌っている気がします。それがますます歌詞世界の哀感を表現しているように感じます。

「演歌」スタイルは昔からあったわけではなく、昭和40年頃から急激に広がった新興のサウンドだったのです。その頃の歌謡曲のメジャーなジャンルとして、ポップス、青春モノ、ラテン、GS、あと黎明期のフォークなど、概ね洋楽志向の音楽がありました。それらに対して、あえて旧来の浪曲・浪花節・民謡などのテイストを取りこんだ「演歌」調を新しい音楽としてレコード会社が生み出したわけです。

本作品は昭和48年ですから「演歌」が発祥しすでに安定期の作品です。このあと、演歌は同様な作品が量産され一大ジャンルに成長します。そして歌謡曲から分離してゆきます。

鈴木淳先生の演歌、かつ八代亜紀さん初期のヒット作、皆様機会がありましたらぜひお聴きください。(204.10.30院長)

 

カテゴリ 音楽

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