レスリー・ゴーア「涙のバースデイパーティ」原題"It's My Party"1963年
このデビュー曲で1963/6/1にビルボード1位になりました。なんと17歳です。プロデューサーは若き日のクインシー・ジョーンズだそうです。
この曲の思い出はなぜか白黒です。きっとエドサリバンショウ(1)の白黒映像があまりに目に焼き付いているからでしょう。この映像は、ロック&ポップスの歴史やオールディーズ特集番組なんかによく使われていました。私も高校生の頃そういった番組でこの曲を知りました。
アメリカ黄金時代の象徴のような曲です。金髪碧眼の女の子(2)が元気いっぱい歌う姿に明るいメロディーとアメリカン・イングリッシュ、すべてが輝いて見えました。「It's my party イッツマ・パーリー」「Jonny has gone ジャニー・ハズガン」って真似しましたな。
この曲の2週後6/15、坂本九の「スキヤキ」が1位に入れ替わります。
年が変わって8か月後64年2月に英国からビートルズがやってきます。64年10月に公民権法が成立、65年2月ベトナム北爆が始まります。社会も音楽も米国が変わりゆく前夜の歌でした。
(1)1948-71年に放映された米国CBSの伝説的バラエティ番組。Lesley Gore "It's My Party"は1963/10/13放映。
(2)白黒画像でもはっきりわかるほどです。ところでレスリー・ゴーアを急に思い出したのは宝塚歌劇のある方に佇まいが似ているからでした。続きはまたいつか。